


私は三谷作品が好きなんだけども、『ラヂオの時間』を久しぶりに観てみたら、
『カメ止め』との共通点や違いが味わえて、よかったのよ!
というわけで、『カメ止め』の後に『ラヂオの時間』を観る面白さについて語ります。
記事の内容をざっくり言うと…
『カメラを止めるな!』の監督が影響を受けた『ラヂオの時間』
映画『カメラを止めるな!』を一言で表すなら、ショー・マスト・ゴー・オンの群像劇コメディです。
ここで、あなたに質問です。
『カメ止め』を鑑賞した後、あのコメディ映画を思い出しませんでしたか?
そう、三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』(1997)です。
『カメ止め』の上田慎一郎監督がテレビ出演した際、
「カメ止めを作る上で影響を受けた作品の一つ」として、『ラヂオの時間』を挙げていました。
ある主婦が初めて書いた脚本が、ラジオドラマとして生放送されることになった。
しかし、本番直前に女優がワガママを言い出し、ラジオ局のスタッフがどんどん内容を変えてしまい…。
果たして、ドラマは無事にエンディングにたどり着けるのか!?

『ラヂオの時間』は中学時代にVHSで見て、好きな映画を尋ねられたら今でもこの映画の名前を挙げます。
『カメラを止めるな!』と『ラヂオの時間』の共通点と違い
この2つの作品の共通点は、生放送中に次々と起こるハプニングを次々に解決するドタバタっぷり。
「まさかそんな解決法が!www」
「視聴者やリスナーにバレないからって、そんな無茶な!www」
という展開が次々と押し寄せるところが笑えますよね。
では、2つの作品の「違い」とは?
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『カメラを止めるな!』は勧善懲悪が気持ちいい

『カメラを止めるな!』
映画『カメラを止めるな!』には、幾つものアツアツポイントがありますが、
その一つが「勧善懲悪」です。
「東洋経済オンライン」の記事に、わかりやすく解説されていました。
『カメラを止めるな!』の場合、ヒーローものや時代劇、はたまたTBSの人気ドラマ『半沢直樹』などのような超悪役が出てきて、それを大掛かりに倒すのではなく、何人かの小悪党を小刻みにやっつけていくスタイルである。
それも実社会に、「こういう人、いるいる!」と感じさせる小悪党だ。無理難題を押しつけつつも、作品にこだわりのないプロデューサーは、どこにでもいる上司や取引先。監督や共演者との議論ばかりしているこだわりの強い俳優には「ゆとり世代」の若手、そして、「自分は構わないが事務所が」という口実で演出に複数NGを出す女優には、世渡り上手でわがままな人が重なる。
引用元:「カメラを止めるな!」はなぜシェアされるか 社会人に共感呼ぶ痛快さが盛り込まれている|東洋経済オンライン|2018/8/15

職場、取引先、家族、友人などなど、誰の日常生活にも必ず「小悪党」っているはず。
(私にも、おっさんのゲロを頭からかぶせてやりたいヤツ、おるわぁ…)
現実世界ではなかなか成敗できない彼らと『カメ止め』の小悪党とを重ねて、スカッとした方も多いのではないでしょうか?
『ラヂオの時間』は、小悪党のプライドが見どころ
一方、『ラヂオの時間』にも、小悪党が登場します。
自分の作品を守りたい脚本家(鈴木京香)に対し、
ベテラン女優のご機嫌を損ねないようにと、脚本を変更しまくるプロデューサー(西村雅彦)です。
しかし、小悪党が一方的にやり込められる展開ではない、という点が『カメ止め』とは違うのです。
小悪党との対決のあらすじ
プロデューサーによる脚本の変更は、主役の名前に始まり、
登場人物の職業、作品の舞台(なんと熱海からシカゴに…)と、どんどんエスカレート。
それどころか、ラブストーリーの結末まで変えようとします。
しかし、それは脚本家にとって絶対に譲れないポイントでした。
ついに堪忍袋の緒が切れた脚本家は、ラジオブース内に立てこもり、こう叫びます。
脚本家:
だったら… 最後に私の名前を呼ぶの やめてください!
私のホンじゃないって 言ってください!
これに対し、今までただの「事なかれ主義者」に見えていたプロデューサーが、本音を語り始めます。
プロデューサー:
あんた、何も分かっちゃいない。
われわれが、いつも自分の名前が呼ばれるのを満足して聞いてると思ってるんですか?なにも あんただけじゃない。私だって、名前を外してほしいと思うことはある。
しかしそうしないのは、私には責任があるからです。
どんなにひどい番組でも、作ったのは私だ。そっから逃げることはできない。満足いくものなんて、そう作れるものじゃない。
妥協して、妥協して、自分を殺して作品を作り上げるんです。でも、いいですか?
われわれは信じてる。いつかはそれでも、満足できるものができるはずだ。
その作品に関わった全ての人と、それを聴いた全ての人が満足できるものが。ただ、今回はそうじゃなかった。それだけのことです。
悪いが、名前は読み上げますよ。
なぜなら、これはあんたの作品だからだ、紛れもない。
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小悪党にもプライドがある
このシーンでハッとさせられるのは、「小悪党だって、本当は理想の仕事を夢見ている」ということです。
小悪党も、最初から小悪党じゃなかったはずです。
ラジオの仕事を始めた頃は、「いい作品を放送したい!」というピュアな気持ちを持っていたでしょう。
そして、次第に理想と現実のギャップを嫌というほど経験して、妥協を覚え、オッサンになった。
そんな彼は、今回が処女作で業界の厳しさを知らない素人脚本家にとっては、
「事なかれ主義」の最悪なヤツにしか見えないわけです。
でも、本当は違った。
小悪党には、小悪党なりのプライドがあった。
「どんな仕事も逃げずに責任を持つ」というプロ意識と、
「俺だって、理想を諦めたわけじゃないんだ!」という叫び。
プロデューサーの言葉を聞いた脚本家は、何も言えなくなります。
彼女のプライドの象徴として頭に巻いてたバンダナを外し、それ以上の抵抗をやめました。
『ラヂオの時間』がおしえてくれること
『カメラを止めるな!』と『ラヂオの時間』を、お仕事ムービーとして併せて観たとき、
『カメラを止めるな!』が痛快な勧善懲悪でスカッとさせてくれるのに対して、
『ラジオの時間』は、対立する相手の本音に耳を傾けることの大切さを問いかけてくるように思えました。
身の回りのムカつく小悪党も、案外、小悪党なりのプライド持って仕事してるのかも?
腹を割って話してみれば、案外、いいヤツなのかも?
こんな風に、悩ましい現実をちょっと俯瞰してみる目線に気づかせてくれる気がします。

牛丼に卵をのっけたら更に美味しくなるように、2つの作品を併せて観ることで、より深く味わえるんじゃないかな?というご提案です
観る人に希望を抱かせてくれる結末へ
さて、『ラヂオの時間』の先程のシーンの続きは、どうなったのでしょうか?
ラストシーンを変更することを、プロデューサーに押し切られてしまった、脚本家。
しかし、彼女の抵抗は無駄ではありませんでした。
プロデューサーに従っていたディレクターや他の出演者が、
作品を必死に守ろうとする彼女の姿に揺さぶられて、
本来の脚本に戻すべく、水面下で動き始めます。

そして、これまで以上に奇想天外な(というか、もはや反則的な)ストーリーの変更を加えて、
脚本家が最も守りたかったラストシーンへ、力を合わせてバトンを繋ぎ、
見事、生放送のラジオドラマを完結させるのです。

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みんながハッピーな大団円
小悪党のプロデューサーは、部下たちに裏切られ、ラジオドラマの結末は変更できませんでした。
しかし、編成部長が「女優が笑ってたから問題ないでしょう」ということで、プロデューサーへのお咎めはナシ!
脚本家、ディレクター、出演者、スタッフたちも、達成感で清々しい表情です。
小悪党が一方的に懲らしめられることなく、みんながハッピーな大団円を迎えます。

「みんなに頭下げて、みんなに気を遣って… 何がやりたいんだ俺は!」と葛藤を吐露する一幕もあるのですが、
直後に大きな「ご褒美」があるんですよね。ここも好き!!
『カメ止め』と同じく、
「妥協だけの仕事じゃ、つまらないよな!」と
希望を抱かせてくれるようなラストだな、と思いました。
まとめ
というわけで、『カメラを止めるな!』が面白かった方は、『ラヂオの時間』も観てみてはいかがでしょうか?
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先日観た映画『カメラを止めるな!』にハマっております。
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