【自己紹介】アラサーまでやりたいことがなかった「まっちゃん.」ってどんな人?【前編】

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まっちゃん.
はじめまして!まっちゃん.(@futtekonai)と申します。

私は普段、プロライターとして企業やクリニックのホームページの文章を取材・執筆しています。しかしあるとき、「ハッ…!なんで一日じゅう人のための文章ばっか書いてるんだろ…!」と我に返り、自分のブログもちゃんと育てていくことにしました。まずは自己紹介を〜。

アラサーまでやりたいことがなかった私について

ウヒョっと誕生。

ウヒョっと誕生。

1986年、四国・徳島県生まれ。小学校のクラス名が松組・竹組・梅組という田舎の町で、性善説の優しい世界ですくすくと育ちました。通知表に「明るく活発でクラスのまとめ役です!」と書かれるような元気な子どもでした。基本的な性格は今も変わらず。

まっちゃん.プロフィール画像

まっちゃん.です

さて、このブログのタイトルは、「やりたいことは空から降ってこない」です。私はアラサーになるまでずっと「叶えたい夢」とか「なりたい職業」が特にないまま生きてきました。

前職はテレビ局の記者・ディレクターでしたし、今はプロライターとして文章を書いて収入を得ていますが、「テレビ番組を作りたい!」とか「文章を書くのが好き!」といった強いモチベーションで目指したわけではありません。

夢に向かって邁進する人や趣味に没頭する人に対しては、ずっとコンプレックスを抱いていました。

でも、「やりたいこと」ってある日突然空から降ってくるものじゃないですよね?自分の知らない世界や他人とつながらないと、見つからない。それに「やりたいことがない」と言っても、夢とか仕事とかちょっと大きすぎるものばかり追いかけていた気がして。

「◯◯に行きたい!」とか「◯◯を食べてみたい!」みたいな、小さなやりたいことって書き出してみるといっぱいあるもんですよね。

「やりたいことがない…」とぼやいているより、小さなやりたいことを叶えてをふふふ〜んと楽しんでるうちに、大きなやりたいことが見えてくるかもしれない。

だから自分に向かって「いつまでも布団の中でぬくぬくしてないで、外に出な!!!」とはっぱをかけるつもりで、このブログタイトルを名付けました。

そんなわけで、やりたいことがなかった私の生い立ちについて、ちょっと聞いてもらえますか?

大学時代に挫折。就職も進学もしなかった

子供の頃、阿波踊りのはっぴを着て。

徳島名物・阿波踊りスタイル。高円寺じゃなくて徳島が発祥です。

前述した通り、私は子どもの頃から将来の夢が特になく、上京志向もゼロ。家族がだいたい公務員という家庭で育ったので「私も将来は地元で公務員かなー」とぼんやり考えていました。

そして学校生活、特に高校生活がとっても楽しかったので、進路選択に際し「学校の先生とかいいかも」という発想に至ります。高校卒業後は徳島を離れ、多くの教員を輩出している名門教育学部の社会系コースに進学しました。しかし、大学で初めて大きな挫折を経験します。

私は入学後からずっと、同じコースの子たちとの知識の差にコンプレックスを抱いていました。もちろん私だって受験勉強では歴史が超得意科目で、センター試験では9割とれていました。

でも実は、それって歴史が好きなんじゃなくて、暗記が得意で「歴史の勉強ってクイズみたいで面白い」ってハマってただけだったことに気づいたのです。受験で点数をとるために勉強した知識なんて、受験が終われば頭からスコーン!と抜けてしまいました。

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高校時代まで成績良かったほうだったので、はじめての挫折。折れると弱い優等生。

「好きな時代は?」「好きな歴史上の人物は?」とか聞かれても、歴史に対する愛着が薄くて時代とか人物に「好き」なんて感覚はないから答えられません。講義の内容にあんまり興味が持てないし、落ちこぼれてる自分がショックで勉強に身が入っていませんでした。

これじゃいかん!と塾講バイトや教育実習をやってみても、そもそも教育の世界に全然ハマらない自分に気づくばかり。私にとって教員ってやりたいことでも何でもなかったんですね。

それでも「今さら引き返せない」「もっと勉強して知識が増えたらやりたいことになっていくはず」と教員への道に固執していました。

その一方で、大学生活の大部分は吹奏楽のサークルに没頭して、勉強から逃げました。学部の人間関係もないがしろにしてしまいました。

大学時代の吹奏楽サークル

100人規模の大所帯でほぼ部活でした。

しかし、大切な居場所だったサークルも大学3年の冬には終わりを迎えます。引退後にようやく将来を直視することになりますが、卒業が近づいた焦りから「もはや教員を目指すしかない」と焦りが加速します。

大学時代の吹奏楽サークル

最後の演奏会を終え、引退の日。笑顔だけども、もう逃げ場なし。

そんな調子で苦しい苦しい日々を送っていましたが、大学4年の秋についに大きな転機が訪れます。モラトリアムの延長を求めて安易に受験した大学院試験に落ちたのです。「学部からの持ち上がりで落ちる人はいない」と言われている試験なのに!

この時やっっっと「やっぱり教員は向いてない!」と自分の本音を認めることができました。教育学部なのに土壇場で逃げるなんて恥だな…という思いが少しありつつも、一度歩み始めてしまった教員への道から外れる覚悟を決めた夜はずいぶん楽になったことを覚えています。

とはいえ、これといった「やりたいこと」はまったく見えていません。進学も就職もせずに卒業して徳島に戻り、とりあえず公務員試験の勉強を始めました。

負け組にまさかの展開!倍率100倍以上のテレビ局に就職

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上り坂、下り坂、まさか。

そんな時、地元・徳島の民放テレビ局なら既卒でも入社試験を受けられることを知ります。もともとテレビっ子だから単純に「テレビ局って楽しそうだな」と思ったし、学生時代は就活経験がゼロだったので「筆記や面接を体験しておけば公務員試験の練習になるかな?」と考えて、試しに受験してみることに。

失うものは何もないのでどーん!とぶつかってみたところ、あれよあれよという間に選考が進み、気がつけば倍率100倍以上の試験を勝ち抜いて内定をいただいたのです。

(部長クラス面接で「うちの看板番組の○○をどう思いますか?」と聞かれた際、「面白くありません」と答えた気概を買ってくれたのかな…と思ってます)

そして、すでに大学を卒業してフリーな身分だったので、内定の約1ヶ月後から即働き始めました。卒業からたった3ヶ月、教育学部であんなに思い悩んで負け組だった私が、あれよあれよという間にテレビ局の正社員になるなんて…。人生って本当にどう転ぶかわからないですよね。

(続く)

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【自己紹介】アラサーまでやりたいことがなかった「まっちゃん.」ってどんな人?【後編】

2017年12月29日

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